お知らせ

東日本大震災への愛媛大学医学部附属病院の継続的医療支援について報告

東日本大震災への愛媛大学医学部附属病院の継続的医療支援

愛媛大学医学部病院副病院長 救急部長 相引眞幸

平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震により生じた東日本大震災に対し、愛媛大学医学部附属病院は、以下の医療支援を行いました。1)発災日に同病院DMAT(災害医療支援隊)は陸路で福島空港へ向かい、傷病者の広域搬送に参画しました。また、翌日発生した福島第一原子力発電所の爆発後、避難して来た住民の被曝医療を行いました。2)4月4日より約一ヶ月間、第1次医療支援隊(亜急性期)計5隊が石巻市で、3)6月13日より約3週間、第2次医療支援隊(亜急性期ー慢性期)計3隊が宮城県登米市で、それぞれ診療活動をしました。
因みにDMATとは医師、看護師、業務調整員で構成される自己完結型チームで、阪神・淡路大震災での「避けられた災害死」の反省から、災害拠点病院に整備されてきました。今回、DMATによる初めての航空機を使った傷病者の広域搬送が行われましたが、自衛隊間でさえ情報錯綜があり、災害時の課題が明らかとなりました。
その後の医療支援は、医師(内科、外科、精神、泌尿器、救急等)、看護師、薬剤師、調整員で、多診療科、多職種のチーム構成が、急性期を過ぎた時点での医療ニーズに極めて即していました。石巻赤十字病院と連携し、避難所への巡回診療に加え、多規模避難所での外来診療を行いました。大学病院での診療とは異なり、医療者が患者さんのもとへ向かう医の原点を経験し、携行薬剤の充実と薬剤師の活動が効果的で、チーム医療の重要性も再認識しました。
平成24年8月現在、福島第一原子力発電所の収束作業を行っている人々の日々の医療支援として、特に当院救急部医師が、一ヶ月に一名程度が発電所の診療所に赴いています。また、小児科の石井榮一教授のグループは、小児科医の不足している岩手県大船渡病院での医療支援を行っています。今後も、長期間に及ぶ医療支援が必要であります。


以下に、私が隊長として活動した、医療支援チーム第1隊の活動状況を具体的に述べます。

第1隊構成員:
大蔵(第2内科)、福原(精神科)、公平(薬剤部)、看護部(竹森、井上、佐々木)、事務(山崎、総務;大西、総務;医療サ、山内;清水、医療情報)、相引(救急部)…..以上11名(その内、山崎部長と池田課長の2名は、物資運搬後、帰松)

医療支援チームの活動内容:
4月4日(月曜日)
松山空港に午前11時に全員集合:大蔵(2内)、福原(精神)、公平(薬剤)、看護師(竹森、井上、佐々木)、以上7名 携帯メール等交換。愛媛大学医学部の上着を配布。
ANA1638便、松山発12時25分発、伊丹着13時30分。
ANA1475便、伊丹14時50分発、山形着16時10分。 大西、山内、清水各事務官と合流、16時30分ごろ山形空港から石巻日赤へ向かった。(山崎経営部長と池田課長は、山形から空路で帰松。)
石巻日赤に18時30分ごろ到着。到着の挨拶。避難所の班分けがなされており、高知大学が、我々の属する班の統括(リーダー)でありました。

4月5日(火曜日)
午前5時20分から朝食。午前6時出発、石巻日赤には、午前6時30分ごろ到着。 午前7時より、全体ミィーティング。医療需要が減ってきているとのこと。石巻日赤が、かかりつけ患者への外来診療を再開するとのことでした。

高知大が、6B地区のリーダとなり、愛媛大の当日割当地区は、6B地区の根岸会館(午前)と渡波(わたのは)保育園(午後)。
根岸会館:約50人の避難所で、2部屋で、概ね高齢者とそれ以外が分かれて居住。狭隘な環境で、上気道炎が広がりを見せていた。トイレは水不足も、1日に一回?の水洗で比較的衛生的に管理されていました。診察・処方10名。
渡波保育園:約30人の避難所、好天と南風によって、瓦礫等などからの粉塵が多く、室内にもその影響があり、そのためか、咳嗽患者が多数来院されました。診察・処方5名。なお、携行薬品の管理は、薬剤師の公平先生が担当し、処方を効率よく処理し、非常にスムーズな診療ができました。
そのようなことで、後続隊にも是非薬剤師の参加を、荒木薬剤部長に電話でお願いし、検討して頂いた結果、継続派遣されることとなりました。
多くの避難所があるため、各地区に分けそれぞれの担当チームを割り当てていました。我々の隊は、6B(4月6日からは6Cへ)の担当で、その地区の拠点が渡波(わたのは)小学校、避難者が約800人居る避難所でした。
我々のチームの人的、物資的な充実度からか、4月6日からは、その拠点の救護所(外来診療を行う所と言う意味、避難所と分けている)を担当することとなりました。

4月6日(水曜日)
午前7時より石巻日赤にて全体ミィーティング。午前9時に渡波小学校にて6地区のミィーティング、6C地区の統括(リーダー)となり活動。午前10時から、広島県医師会チームおよび東大病院チームとの協同で、渡波小学校の救護所における外来診療と、小学校の体育館と2階および3階に居る約800人の避難者の巡回診療を行いました。
外来診療:まず事務による受付が行われ、看護師による問診、血圧および体温測定、その後医師による診療が行われました。処方のある場合は、薬剤師に配薬をお願いしました。怪我については、受付、問診後、処置を行い、処方し配薬しました。その日は、約100人を診療。
小学校内避難所巡回診療:昼間は、瓦礫処理や自宅の掃除などで、若者や元気な人はいません。巡回診療の対象は、残った高齢者で、それぞれ、自分は問題ないと思っているため、こちらから声掛けをしないと診療が成立しませんでした。診療を行うとかなりの高血圧で投薬が必要な例や、深部静脈血栓症の疑い症例に遭遇しました。避難所の巡回診療の重要な点と思われます。体育館で2名が肺炎の疑いで、石巻日赤へ救急搬送され、処置後、再び体育館に戻ってきました。
なお、診療時間は、午前10時から12時と、午後1時から3時まで。午後3時で診療を終了する理由は、それ以降まで行い撤収すると、交通渋滞のため、午後6時から行われる石巻日赤での全体ミィーティングに間に合わないためです。前日同様、午後3時の地区ミィーティング、石巻日赤での午後6時のミィーティング後、宿舎へ帰りました。

4月7日(木曜日)
午前7時より石巻日赤にて全体ミィーティング。午前9時に渡波小学校にて6地区のミィーティング。6C地区の渡波小学校において、広島県医師会チームおよび東大病院チームとの協同で、救護所における外来診療と、小学校の体育館と2階および3階の巡回診療を行いました。この日も約100人の外来診療。巡回診療では、寝たきりの人や運動を殆どしない高齢者を中心に巡回。午後3時の地区ミィーティング、石巻日赤での午後6時のミィーティング後、宿舎へ帰りました。
その日の午後11時50分ごろ、震度6強の最大余震が発生。強烈な横揺れから、縦揺れを感じました。宿泊所のホテルは、全館停電となり、宿泊客はロビーへ緊急避難させられました。ホテル職員は、迅速に大広間や宴会場に布団を敷き、宿泊者は全員、そこで一夜を過ごしました。この際のホテル職員の迅速な対応に感心しました。

4月8日(金曜日)
午前中は石巻日赤での待機との情報を得した。午前11時半ごろより、現状説明などの全体ミィーティングがありました。石巻日赤は、緊急災害モードになっており、一階の外来フロアーの一部が、トリアージされた黄色と赤色の傷病者のための救護所になっていて、今後の我々の病院の災害対応の参考となりました。
午後から渡波小学校で活動。外来受診者、約60人。巡回診療、その際、余震の影響などを調査。余震の避難に関して、2階、3階の教室にいる避難者の中で、津波警報に対し避難する際に、屋上へ避難できず混乱があったとのことです。体育館では、慣れているようで混乱なく避難したそうです。その余震による傷病者の新たな発生はありませんでした。
午後3時30分の地区ミィーティング、石巻日赤での午後6時のミィーティング後、宿舎へ帰りました。ホテルの電気が復旧しており、通常営業されており、非常に有り難かった。

4月9日(土曜日)
医療支援最終日。午前7時のミィーティングはなくなりました。直接避難所へ行くもの、毎朝の石巻日赤への活動開始の挨拶と診療録を取りに行くグループに分かれました。
午前9時ごろ地区ミィーティング。その日の役割分担を行い、午前10時より外来診療と避難所巡回診療を行いました。午後1時より午後の診療が開始され、我々の隊は、午後2時過ぎまで、その他のチームを支援し撤退しました。その後、午後4時ごろまで、女川地区を視察し、宿泊所へ向かいました。
第2隊が、午後2時過ぎに福島空港に到着し、東北道を北上し、仙台そして松島の宿泊所に到着しました。午後7時ごろから、約1時間半の、愛媛大学チーム全体の引き継ぎを行い、その後、職種別に申し送りを行いました。

4月10日(日曜日)
午前6時40分、第2隊の物資積み込みなどを手伝い、出動を見送りました。その後、我々9名は、午前9時ごろ、第2隊が福島空港で借りたレンタカーで山形空港へ向いました。午前11時ごろ、山形空港に到着し、搭乗手続き等を終え、ANA1474便、山形発午後0時55分、伊丹午後2時30分着、その後ANA1645便、伊丹発午後3時15分、松山着午後4時15分着で、帰松し、松山空港で解散しました。

活動のまとめ:
東北大学を介した、文部科学省の要請により4月4日より10日まで、東日本大震災の医療支援のため多職種の11名で、宮城県石巻市に赴きました。
現地では、石巻日赤病院と連携し、各避難所の巡回診療と、4月6日からは避難者約800人の渡波(わたのは)小学校での外来診療およびその中の避難所巡回を行いました。
第一隊は、医師3名(循環器、精神、救急)、看護師3名、薬剤師1名、調整員2名であり、発災後約一ヶ月を経過した時点での医療支援のあり方として、多診療科、多職種のチーム構成が、極めて現地ニーズに即していました。
薬剤部の支援により、携行薬剤の充実と薬剤師の活動が、現地診療を迅速かつ有効にしてくれました。
今後、医療ニーズが変化すると思われ、現地からの情報収集が必要です。
宿泊所については、石巻市から約25km離れた松島町に取りました。移動時間は渋滞もあり、帰路で約1時間と長かったですが、被災地から少し距離を置いた環境で休息できたことが、結果的に、長期の支援を可能にしたと考えています。
震度6強と言う最大余震を経験し、宿泊所の災害対応の迅速さに感心した。さらに、石巻日赤病院の、余震発生後、外来フロアを救護所として、対応していた様を見学し、今後の当院の大災害対応の参考となりました。

最後に、我々が、愛媛大学医学部付属病院の医療支援チームの第1隊として、強力な医療支援が出来たことは、横山病院長をはじめ、派遣にご協力頂いた方々のご尽力の賜物であり、心から御礼を申しあげる次第です。